六人の和宮の謎を追って

更なる証拠

 

 

◇真実を消したい主の勇み足から足が付いた◇

発掘時の和宮の遺骸 出典:『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』
(情報収集中、偶然見つけたものです。)

偽遺骸 偽遺骸

『本』の内容の改ざん?

※amazonで、この『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体 』出版当時の1967年版は、約7万円もの値がついていて、現物もありませんでした。1997年度版なら、約3万円強で、買う事が出来ますが、これでも高くて手が出ません。一般に手に入りづらくなっています。(2016/01/12現在)

 

◇当時の新聞記事*1

新聞記事

①5日に和宮のお墓が開けられた。
②蓋石に和宮の経歴が彫られていた。
③石灰が詰められてあったが、
銅棺はなく、いきなりヒノキ棺が出てきた。
④木棺のサイズ。
⑤木棺は腐ってボロボロだった。
遺体は泥の中に埋もれ、
ほとんど白骨化して原形をとどめていない模様。*2

⑦「和宮の身長は150センチぐらいで当時の女性としてはふつう。
家茂の墓の方に北マクラにして眠っていた。
⑧石ヒツのフタはセメントでメバリし、近代的だった。

 

私の昔の記憶を頼りに、ネットで探してみました。

 

やっと見つけました、一人目

◇『スローネット』の中で、作家の檜山良昭氏が書かれた閑散余録 より◇

第408回 皇女和宮の覚悟⇒m(_ _)m

一部転載

「徳川家の女」になりきって

・・・・・

 

「美しいのは漆黒の髪だけではない。棺の中に横になっている五尺そこいらのきゃしゃな遺体が、心持左向きに仰臥して、

足を少しばかりくの字がたに曲げて、膝を合わせ、左手を上に、胸の上で両手を合わせ、いかにも慎み深いきれいな寝姿。

鼻は高く、ほお骨は低く、生前の清い美しさを十二分に物語っていた」

昭和34(1959)年2月6日の朝日新聞の朝刊には、発掘した調査員の言葉が載っています。 *3

転載終了

※新聞記事は、「泥の中に埋もれ・・・」が書いてあった上の記事と同じ日付けです。余りにも食い違う内容です。

 

二人目

◇出口王仁三郎の色鉛筆 by 出口恒より◇

王仁三郎と有栖川熾仁親王との関係の中から許嫁であった和宮の話にも触れています。

目次から『天岩戸の秘密と三人の皇女和宮 』⇒m(_ _)m

出口和明氏が、この発掘調査に参加していた、山辺知行氏を尋ねて話を聞いた内容が書かれています。

一部転載

・・・・・

はじめて柩の蓋が開けられた 

和宮は座棺ばかりの墓地のなかで唯一、寝棺で葬られていた(図六)。
朽ち果てた三重の木棺の床に敷きつめられた石灰の下に、期待された副葬品はなかった。

ほかの墓に数々見られたような服飾、装具はなにひとつ得られず、かすかに足元に絹の細片が散っていただけの淋しさである。

北に枕してわずかに膝を屈し、両肘を前に伸ばすようにして静かに横たわっている華奢な遺骨、そして切り揃えられた黒髪……。

「まるで遊び疲れた子供がうたた寝しているような」と、立ち会った山辺氏は、印象を私たちに語ってくれた。

転載終了

こちらも表現は違いますが、どうですか。

新聞に書かれている様な、「遺体は泥の中に埋もれ」てはいなかったのです。

 

◎宝塔基壇及び石室の断面図 鈴木尚他編「増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体」(p72)

棺

(同上 p73)より

石室の内部に降りて見ると、床には石灰を紙袋につめた袋状のものが一面に並んでいた、静かにその一つ一つ取って見たが、

石灰の下に遺物―例えば服飾、装具のようなもの―のあることを予想したのだけれども・・・・

・・・・清寛院宮の墓ということのためか、・・・中には石室の中まで降りてくる人もあって、石室は狭いので棺のまわりを動く事もできない有様だった・・・・

泥に埋もれ様がない。

 

◎湿板写真(同上 p116)

写真

遺体の両臂(ひじ)の間に、ちょうどこれを抱いたかのような形でガラスの板が一枚落ちていた。(同上 p117)

 

はて?   ヒジの所にこんな骨あったっけ?

 

※お棺に入っている物は、本人が持ち込んだ物ではないので、写真に誰が写っていようと、問題ではない。

 

◎和宮の埋葬状態 鈴木 尚著「骨は語る徳川将軍・大名家の人びと」(p118)

棺

清寛院の遺体

遺体は左側を下にして、少し俯(うつむ)き加減に横たわり、

上肢は胸の前に軽く伸ばし、下肢は膝関節で約60゚に曲げたような状態であった。(同上 p118)

アゴは空ぷいて棺にくっついている状態で、足は曲り過ぎ!!

説明文と遺骸とまるであっていないズサンな改ざん

この遺骨は和宮ではない。

前記した二人の証人も、それぞれ、足を「少しばかりくの字がたに曲げて・・・」「わずかに膝を屈し」と表現している。私の記憶でも同じです。

 

◎朽ち果てた三重の木棺 「増上寺 徳川将軍墓とその遺品・遺体」東京大学出版会(財)(p73)
※編者の中に先の二人目の証人に登場する山辺知行氏も名前を連ねている。

棺

静かに棺を調べたところ、上面腐朽しているけれども底は檜材が堅く残っていることが知らされたので、

そこで改めて、棺、遺体を厚布で被って仮小屋に運んで調査することになった。

・・・・木棺は、良質の檜材で作られていた、底版の部分は残っていたけれども、側板の立ち上がりは下10㎝内外を残して、上部は腐朽すてすっかり失われてしまっていた。

また、遺物もなく石灰だけが残されていたのである。

※その結果が一つ前の写真です。

 ここに、私が昔見た写真の記憶を証言とするなら、「身体は横を向いて、上半身は下を向いていた、倒れた様な状態に見えました。髪の毛はそのまま綺麗に残っていました。」
これを見た時に、賊にでも襲われたのではないのかと、考えたものです。事実もそうかも知れません。倒れたまま(すぐには発見されず)硬直してしまったのではないでしょうか。。

この時に『左手首』も切られたのではないのか・・・情報錯乱の為に・・・

 

『骨は語る徳川将軍・大名家の人びと』のあとがきに

概略ですが、

発掘も済み、改葬も無事終えて数年後、マスコミを賑わせただけでなく、雑音も聞えて来た。

有吉佐和子氏の『和宮様御留』が、出版され、世の中を騒がせたが、この身代わり説の非妥当性は、和宮の頭骨は、典型的は貴族形質を持っており身代わり説など有り得ない。

又、調査中の筆者らに寄せられた匿名の一婦人からの投書があったが、教養と自信に溢れていたが、我々には余りにも意外な内容だったので、当時からその内容は伏せたまま、今日に至った。

そして、その手紙の原文を載せてあり、続けて左手の話になって今となっては判断しようもないが、何とも不思議な話だと締め括っています。

著者は鈴木 尚氏です。

家茂の柩に収められていた和宮の頭髪と、本人の頭髪が他人だった事、おそらく、ここを改ざんしたかったのですね。徳川家の菩提寺に偽物が埋葬されていてはまずいですからね。本物の遺骸には、髪は見事に残っていました。それがまずかったんでしょうか。

この二人が騒がなければ、本の中身だけそっと変えて、あとは手の届かない様にしておけば済んだのに。書くのには、よっぽど耳障りだったんですね。それにしても『貴族形質』とは初耳です^^

湿板写真や左手の話は二の次でいいんです。情報を攪乱させるためのスピン。

発掘で調査が終わったあと、遺骸は荼毘に付されて納骨したのですから、捏造を考えた時に遺骸は既になかった。それで、このザマですか・・・

 

 

◎思わぬ展開になってしまいました。

※1,  ※2,  ※3  については、続きを次のページに書きます。⇒こちらへ

 

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