六人の和宮の謎を追って

新聞記事の改ざん

 

 

◇約60年前の新聞記事 1959年2月6日 朝刊◇

新聞記事

前ページにも載せましたが、作家の檜山良昭氏が、

「昭和34(1959)年2月6日の朝日新聞の朝刊には、発掘した調査員の言葉が載っています」と、一筆添えていたその記事です。

私は何処か違う場所にその『発掘した調査員』の言葉が載っているのかと、右に赤の印で示した事(新聞には有り得ないズサンな文字構成)も含めて、

「朝日新聞本社」に問い合わせました。

電話の向こうの女性は、とても丁寧に対応してくれました。これで『和宮の記事』は、

この記事以外には他には無い事も、紙面も当時と同じだと云う事も確認しました。

 

◎wikiでも確認
「マイクロフイルムの作成と閲覧」

マイクロフィルムを作成する際には、原版となる資料を特殊な写真撮影機材を使って原版の1/5 - 1/40に縮小して焼き写す。閲覧する際にはマイクロフィルムリーダーと呼ばれる専用の投影機を用い、必要な場合は原版と同じサイズで印刷をすることができる。

調査員のコメントは記事には載っていない上に、実際とは違う内容の記事!

◇ニュースはこの朝、どの新聞も一斉に載せています◇
こちらは、毎日新聞です。

新聞記事

こちらは、赤で示した様に、「段下げ」の上に「行の数」まで違っている。

ここでも・・・・
「棺が腐食しているうえ、石灰の重みで遺体はすっかり埋没した格好になっていた」

・・・・遺体の身体の上の方に石灰が乗せてあったが如くに書いてある・・・・

 

上の朝日の記事では「泥の中に埋もれ・・・」でしたね。

 

◎その他にも読売新聞の記事でも、「段下げ」が見られました。

 

 

◇新聞に掲載された写真と本の写真を比べて下さい。◇

上に掲げた毎日新聞の記事の上の部分です。下の二枚左右は『増上寺 徳川将軍墓とその遺品・遺体』より

m毎日記事

 

 

左の写真は木棺を土の中から掘り出している様に見えます。
新聞の記事には「泥に埋もれて・・・」なんて書いてもありましたね。

その記事に合わせて、何処の現場でしょう?

 

周りの壁も一目瞭然。

 

左下は木棺の説明ですが、

徳川の遺骨が全て座棺の中で和宮の遺骨はその中で、唯一寝棺だった筈ですし、

隣の運び出している写真は寝棺。

(家茂が亡くなってから、和宮は薙髪して清寛院となりました。)

新聞記事

新聞記事

 

同上の本のp116では

「今回調査した中での唯一の寝棺――北を枕にして東面に横向きにわずかに膝を屈して両肘を前に伸ばすようにして静かに横たわっているきゃしゃな・・・・」

膝を曲げすぎているのは偽物ですね。

本の方も改ざんでチグハグな説明になってしまっているのでしょう。

 

以前、ジョージ・オーウェルの1984年と云う本を読みましたが、まるでその世界そのままを見る思いです。管理社会で、歴史も過去に遡って改ざんする仕事についている人が主人公でしたっけ、うろ覚えです、詳しくは忘れました。

 

 

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